私たちは大人になる上で働かなければならないと考え、現在就職活動をしている。しかし、ほんとうにそうなのだろうか。生きていけるお金さえあれば働かなくてもいいのではないか——そんな疑問が沸いてくることもある。サラリーマンのイメージといえば、上司にヘコヘコし、就業後に「やってらんねえよ」と酒を飲み、同じような毎日を繰り返し、社会に呑まれながら自分や家族の生活のために働いている存在である。そう思っていた頃もあった。
一方で、働くことで輝いている人も世の中にはたくさんいる。そのような人は働くのを楽しんで、その人らしい成果を出して報酬をもらっている。ゲームのプロデューサーも、好きなバンドの人たちも、会社から給料をもらっているサラリーマンには違いないのに関わらず「サラリーマン像」とは離れているのだ。私の父親もそのように楽しく働いている人で、「父親もサラリーマンだ」と聞いた時には私のサラリーマン像が間違いであることに気付いた。そうでないサラリーマンもいるのだ、と。
では、その差はどこから出てくるのだろうか。職種であるのかもしれないし、その職場の環境にあるのかもしれない。しかし、同じ職場・同じ条件でも楽しそうに働く人とそうでない人とに分かれる場合もあるだろう。ではそれは「適性」なのだろうか——私はそうは思わない。
私が思うに、それはその人が「労働をしている」か「働いている」かの違いである。「労働」は作業・ノルマをこなすことが目的となり、達成したことが喜びとなる行為であると考える。一方の「働くこと」はそれを達成した後の「人を喜ばせたい」「社会にこのような影響を与えたい」という目標を達成したことが喜びとなるのだ。働くこととは、仕事を手段に自分やプロジェクトメンバーの夢を叶えることなのではないか。
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