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日東電工の本選考ES(エントリーシート)一覧(全70件) 2ページ目

日東電工株式会社の本選考における、エントリーシートで出題された設問とそれに対する先輩の実際の回答を公開しています。卒年や職種による設問の違いや傾向をつかむために、詳細ページにて全文を確認し、選考対策に役立ててください。

日東電工の 本選考の通過エントリーシート

70件中51〜70件表示
男性 21卒 | 立教大学 | 男性
Q. 自分史
A.
・小学生 4年生の時に仲の良い友人に誘われ、サッカーの習い事を始めた。その後多くのサッカーチームの友人ができたが、徐々に避けられるようになり、原因不明の仲たがい。理由を聞いても何も返ってこなかった。同じ習い事なので会わないわけにはいかず、試合や練習で一緒になることもあり揉めに揉めたが、思っていることを伝えることをやめなかった結果、6年生の頃にはまた仲良くなって、本当に楽しい1年間を過ごした。 ・中学生 常に団体プレーのサッカーに疲れを感じ、試合では個人の実力がものを言うテニスを始める。部活の友人とも仲良く時間を過ごせ、クラスではサッカーでできた友人とも程よい距離間でいられたため、充実していた。中三で、3年間やってきた委員会の委員長に立候補し、当選した。しかし、委員を動かして仕事を回すのが想像以上に大変で、自分の行動に責任を持つことの重要性、意味を学んだ。リーダーの大変さも学んだ。やり切れたことで、責任感が身に着いた。 ・高校生 高校2年生時、クラスの文化祭リーダーに立候補。一人ではなく4人だったので、再挑戦しようと決意した。クラスのみんなと仲良くなるよう自分から声をかけるなどして、クラスリーダーのリーダーが指揮を取りやすい環境をつくった。文化祭も成功し、再挑戦は成功したと思われる。3年生時は、受験勉強に取り組むも、大学受験を望まない人が多いクラスに配属され、周りとのモチベーションの差に悩まされるも、やり通して第一志望に合格した。部活動では、団体戦で県大会出場を決めた。毎日仲間と練習した成果が出て、人生で最も嬉しくて感動した瞬間の一つだった。 ・大学 得意科目だった英語を、必修の授業で実際に使って話をし、意見を伝えることに魅せられ、英語を母国語話者ほどに極めることを決意した。また、社会学部でジェンダーや環境、移民など、様々な社会問題を学ぶことで物事を多面的に見る力が身に着いた。やりたいことができる日々で、充実していた。専攻、副専攻で得た知識と英語力を海外で試したいと思い、留学を決意し、3年生時に1年留学した。現地の学生同じようにディスカッションをするなどの授業は、初めは大変で挫折したが、毎授業予習を4時間するなどして諦めずに食らいついていった結果、留学終盤には楽しいと思えるまでになった。また学外で多様な人と会い、対話することで、もたらされてきた人生であったことを悟り、今後は何をもたらせる人になれるかという視点で人生を歩もうと決めた。 続きを読む
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公開日:2020年7月15日
男性 21卒 | 東京理科大学大学院 | 女性
Q. 自己紹介書 誕生から現在までを振り返って、これまでの人生におけるあなたの充実度を曲線グラフで書いてください。
A.
① 幼稚園から小学校1年生に掛けて、父親の転勤により2年弱アメリカで生活しました。アメリカの田舎だったため、日本人学校がなく、現地学校では言葉が通じず苦労しました。 ② 小学校4年生のときに、また5ヶ月間アメリカに転校しました。前回のアメリカでの生活により、耳は少し良くなっていたため、何と言っているのかはわかるときもあったのですが、相変わらず英語は話せませんでした。前回の担任の先生と再会することができ喜んでもらえたのですが、私からは話すことが出来ず、成長していないことを実感しました。 ③ 中学校では初めて本格的なテストが始まるのを心配し、1番初めの定期テストの前には、数か月前からテスト勉強のための計画を立て、毎日猛勉強しました。これにより、2位と13点の差をつけて1番の成績を取ることができました。これ以降の中学校のテストでは、すべて学年10位以内に入ることが出来、事前の計画と継続の重要性を学びました。 ④しかし、高校での1番初めのテストでは、学年100位ほどで、勉強で初めて挫折を味わいました。 ⑤そこで、得意教科から伸ばそうと思い、また計画を立てて効率よく勉強することで、数学で学年1位の点数を取ることができました。 ⑥3年生の文化祭の劇で主演に選ばれたのですが、私は人前で話すのが苦手で、声も小さく、主演は私には荷が重いものでした。そこで私は人一倍練習し、本番では他の人のセリフを言えるようにまでなり、私のクラスは準優勝することができました。このことから、苦手なことにも挑戦する大切さを学びました。 ⑦大学の第一志望の不合格は2番目の大きな挫折でした。しかし、単位取得が困難とされる東京理科大学ならば自己成長できると信じ、入学後に勉学に励んだ結果成績上位で卒業することができました。これにより、成績順で選択の権利が与えられる研究室配属では、第一志望の研究室に入ることが出来ました。 ⑧大学で学んだ化学を実用的な形にする研究をしたいと思い、高分子材料を主軸にしている研究室に入りました。成果を出すために、休日も返上して研究に取り組みました。 ⑨研究を進める中で、目的を明確に理解することで、研究が楽しく続けられることを実感しました。また、産業界では樹脂が幅広く用いられていることを知り、私もこの研究を活かせるような仕事に就いて人々の生活に貢献したいと思うようになりました。 続きを読む
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公開日:2020年7月3日

21卒 本選考ES

営業管理職
男性 21卒 | 同志社大学 | 女性
Q. 誕生~現在までを振り返って、これまでの人生における充実度の変化のきっかけとなった体験・出来事・場面を「自己紹介書」にご回答ください。(1000字以内)
A.
(1)高校受験 中学1年の頃から憧れていた県で1番難しいとされる高校を志望した。しかし中学3年の時に担任から第一志望は厳しいと猛反対された。自分の限界を決めつけられたことが悔しくて、その言葉をバネに徹底的に勉強した。その結果、無事第一志望に合格することができた。妥協せずに自分の目標に向かってやり切ることの素晴らしさを学んだ。 (2)ダンス入賞 高校ではダンス部に入部した。舞台に立つ中で、チームで一つのパフォーマンスを作り上げる一体感に魅力を感じるようになった。最高学年になり、「何か新しいことをしたい」という好奇心から、大会に出場するという初めての試みに挑戦した。今までと同じ演出の仕方では入賞できないと考え、ダンス・掛け声をチームで試行錯誤しながら新しいものに変えていった。その結果、特別賞を頂くことができた。新しいことに挑戦する楽しさとチームが一丸となった時に発揮する力の大きさを学んだ。 (3)大学受験 必死で勉強した結果、第一志望に落ちた。高校受験とダンスの経験から、「努力すれば必ず夢は叶う」という自分の信念が崩れ落ちた瞬間だった。どれだけ頑張っても報われない努力があることを知った。しかし、今の大学でも学びたかった○○を専攻できると考え、前向きに気持ちを切り替えた。 (4)留学 大学1年の春にオーストラリアへ5週間の短期留学に行った。スピーキング力のレベルアップを目指し、積極的に先生に話しかけたが、うまく伝わらないことが多々あり、自分の英語力の乏しさにショックを受けた。しかし、継続することが重要だと考え、先生だけでなくホテルのスタッフや、お店の人にも積極的に話しかけ、休日には彼女たちと外出し、英語を話す機会を自ら作るよう心掛けた。最終的には、瞬発的に英語を出せるようになり、帰国時にプレゼントをくれたり、涙してくれる海外の友達もできた。どのような環境にも順応し、努力する力を得た。 (5)ダンス 大学でダンスサークルに入会し、2回生で副リーダーに就任した。個々人が様々な方向を向いている中、チームが団結するために自分ができることは、個人のチーム意識と練習の雰囲気が重要だと考え、全体で目標と現状課題を共有し、周りを巻き込む活気のある練習を心がけた。「○○がいたから練習が楽しかった」と多くのメンバーから感謝され、今まで感じたことのない達成感を味わった。周りを見て問題を見つけ解決していく力を身に着けた。 続きを読む
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公開日:2020年6月29日

21卒 本選考ES

事務系総合職
男性 21卒 | 早稲田大学 | 男性
Q. 充実度の変化のきっかけとなった体験・出来事・場面を記入し、詳細を記述して下さい1000字
A.
小学五年生の時、野球を始めたことで友達も増え、毎週練習に励んでいました。しかし、監督やコーチが怖かったことから、監督達がグラウンドに来ることをおびえながら練習していました。その後、中学校に入学し、野球部に所属しました。野球部では、伸び伸びと練習することができたことから、野球が楽しいと感じるようになり、充実度が上がりました。中学校一年生の時、学校の駅伝のメンバーに選出され、毎日のようにランニングをすることで持久力の強化に努めました。その結果、一年生ながらにして区間賞、チームとしても優勝することができました。転校後も野球部に所属し、最後の大会までやり切りました。中学校までの人生で一番モチベーションが高く、充実していたのは、高校受験です。野球部引退後、学校が終わると走って家に帰り、毎日深夜二時まで勉強をしていました。受験勉強中、母に「早慶なんて無理じゃない?」と言われたことに非常にショックを受けましたが、絶対受かってやるという強い気持ちに変わり、見事第一志望群に受かることができました。高校では、軟式野球部に所属しました。一、二年生の時は試合に出ることができず、徐々に試合に出られるようになることで充実度が上がっていきました。先輩の引退後、秋大会でスタメン入りしたが、関東大会ではスタメンから外れました。この時、スタメン入りのために、苦手であった打撃の改善を徹底的に行い、得意であった外野守備でも誰よりも速く正確に球を投げられるようにしました。その結果、スタメンになり、チームは全国大会準優勝・国民体育大会準優勝することができました。大学生活では、自転車旅サークルに所属し、日本全国を隅々まで旅をし、三年間で30000kmも走ることができ、充実した大学生活を送ることができました。サークル活動と並行して、大学三年次、4年に1回フランスで開催されるPBP(パリブレストパリ)という1200kmを90時間以内に自転車で走破する過酷なロングライドに挑戦しました。周りにこの大会について詳しい人もおらず、全てが0からの挑戦でした。限られた時間の中で完走するには、眠気に耐え、自己の体力を管理する必要がありました。走力は、学業やアルバイトのない時に河川敷で走り込みをすることで強化しました。また、眠気には徹夜で漕ぐ練習で慣れるようにし、体力は行動計画を立てることで管理しました。このような入念な準備と対策により、75時間で完走できました。 続きを読む
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公開日:2020年6月15日
男性 20卒 | 三重大学大学院 | 男性
Q. 1.誕生~現在までを振り返って、これまでの人生におけるあなたの充実度の変化のきっかけとなった体験・出来事・場面を記入して下さい。1000文字
A.
これまでの人生における大きな経験は3つあります。1つ目が海外交流です。高校2年の夏、東日本大震災の風評被害払拭を目的に企画された外務省主催の日韓国際交流に参加する機会を得ました。私は他国との交流が初のため、当初はプレゼンを企画し、情報発信の工夫を重視しました。しかし、文化や思考の違いからか納得感ある反応が得られませんでした。そこで、私は本交流の総括として企画されていた日韓混合チームによるプレゼンとサッカー大会で優勝する目標設定を提案しました。そして、その達成に向けたプレゼン内容や練習方法に関する議論を通じてお互いに意思疎通できる実感を得ました。結果、プレゼンとサッカー大会でいずれも優勝することができ、共に喜びを分ち合えました。文化や思考が異なっても共通目標に対して共に協業することで理解しあえました。2つ目は、大学生のとき、父親とこれまでの人生や私の将来の話をしたことです。父親と比較して、自身に足りていないものをこの時初めてはっきりと実感し、尊敬と同時に負けたくない気持ちが生まれました。そのときから、自分の中に目標とする人物像も定まりました。3つ目はアルバイトに取組んだことです。学生である間に社会人の立場で責任感を持って仕事に取組み、成果を出すことを目標にしました。大学にはない会社経営を意識できる環境に身を置き、経営存続に関わる緊張感や危機感のある中で社会人としての課題解決能力を養うためです。そのため、私自身が考えた対策を実行しやすく、効果も確認しやすい職種として、規模の小さいパン屋でのバイトを選びました。当初、試食提供や店内放送の回数増加により、短期間でお客様の購入意欲の向上を狙うも、従来の冷めたパンの試食ではお客様の興味や関心を集められませんでした。そこで、私は「五感に訴える試食」というコンセプトを考えました。特に試食用パンの香りを焼き立てに近い状態にすることでお客様に興味を持って頂けると考え、店頭での再加熱用の試食用トースターの購入を提案。試食の改善案の実行と経費での購入を店長に許可して頂きました。結果、売上が予想以上に向上し、他店舗にもこの方法が導入されました。社会人として課題解決能力を養える機会だけでなく、自身が考案した方法で成功に繋げた貴重な経験を得られました。これら3つの経験を経て、私は何事にも目的を持って取り組み、自身の成長に繋げるようになりました。 続きを読む
Q. 研究概要 A4一枚
A.
全固体リチウム金属二次電池の実用化に向けた、充放電時の容量劣化抑制です。リチウム金属単独で負極材を形成することで、高容量な二次電池を実現できます。しかし、現在の技術では充放電時に平滑で均質な析出面を形成できず、短期間での電池容量劣化や内部でショートする課題を抱えています。これに対し、充放電中に電極面を加圧し続け、物理的に電極面を平滑にできるかを検証しました。 圧力の影響を調査するというテーマのもと、私は研究中の課題に対して3つの取り組みを自身で考えて進めてきました。一つ目が新たな圧力試験用電池の開発です。電気化学測定だけでなく、原理を確認するためにリチウムの析出形態を観察する必要があると考えました。そこで、固体電解質ではなく、液体の電解液を用いることも提案しました。 二つ目が最適な加圧方法の探索です。セパレータと電極の密着性向上、一定の圧力を維持、再現性確認のため圧力調節が容易である強化ばねを用いた一軸加圧法を考案しました。三つ目が加圧による弊害を想定し、それを解決することです。疑似的に弾性力を向上、電解液保有量の増加を狙って、セパレータの枚数を増加した。これにより、加圧によるセパレータの変形、及び加圧に伴う電極間の電解液枯渇の問題を解決した。 続きを読む
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公開日:2020年1月27日

20卒 本選考ES

事務系総合職
男性 20卒 | 慶應義塾大学 | 男性
Q. 自己PR(200)
A.
強みは「人と共に物事を推進する力」です。私が2年次、庭球部の幹部の企画担当に就きました。就任当初は、3年の先輩幹部に言われたことをただ遂行するだけで、就任前のイメージと違ったため気落ちしました。しかし、このままでは何の役にも立てないと思い、自らが主体となって部内での企画を新たに考え、一般部員と共に企画を立案することを考え、実行しました。結果、秋のキャンプ企画などは多くの部員に喜んでもらえました。 続きを読む
Q. 充実度の変化のきっかけとなった体験・出来事・場面を記入し、詳細を記述して下さい。(1000)
A.
小学校時代は父の仕事の都合上、転勤を3回ほど経験しました。そのため、学校に慣れて友人ができはじめた頃に転勤となり、また人間関係を一から構築するということを繰り返していました。特に小学3年生頃、学童に通うことになったのですが、学童にいる多くの児童が他人を簡単に寄せ付けない性格の人で、馴染むのに大変苦労した思い出があります。これまでの経験から、新たな環境に飛び込む勇気が身につきました。 中学校時代はとにかく「やったことのないことをやってみたい」という野心で、学級委員長や生徒会役員副会長などのまとめ役となり、クラスをはじめ学校をより良くしていこうとさまざまな活動に取り組みました。その他にも、バスケットボール部の活動ではレギュラー入りを目指して一生懸命努力したり、高校受験の勉強では第一志望校合格に向けて中学1年の5月から一生懸命目標を達成しようと努力し続けていたため、毎日が大変楽しく、充実していました。 高校時代は自由度の高い学校だったので、部活やアルバイトなどさまざまなことができたのですが、熱中できるものに出会うまで時間がかかりました。結局、高校3年生の時に気象学に出会ったことで、予報士の資格を取りたいという目標ができ、一生懸命勉強しました。 大学に入学すると、環境の変化が大きく驚きました。大学1年生の頃は、特にテニス部での活動とカラオケ店でのアルバイトに熱中しました。テニス部での活動ではとにかくテニスの上達を目標に最低週1日は練習に参加したり、アルバイトではオープニングスタッフで入り、新店舗で誰よりも早く一人前になろうと人より多く出勤してできる仕事の幅を増やしていきました。大学2年生になると、これから入ってくる1年生にテニス部を楽しんでもらいたいという想いを持ち、部を企画立案などの側面から盛り上げる幹部の企画担当となりました。しかし、実際の仕事内容は3年生の先輩幹部に言われたことだけを実行していれば良いだけの仕事でした。その時は大変気落ちしてやる気を失くしたのですが、このままでは「企画担当として何もできずに終わってしまう」と感じ、自ら新たな企画を考えて、一般部員と共同で企画する形をとりながら、実行してきました。特に秋に行ったキャンプ企画は、1年生からの評判が良く大変嬉しかったです。3年生以降は、新たに塾講師に挑戦しており、生徒全員の志望校合格に向けて取り組んでいます。 続きを読む
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公開日:2019年7月25日
男性 20卒 | 大阪大学 | 女性
Q. 学生時代に一番打ち込んだことは何ですか?
A.
私は、ある大学公認サークルに所属しており、その一員として講演会を主催したことが、学生時代に一番打ち込んだ経験です。その際の集客目標は400人でしたが、開催日時が平日の朝ということもあり、開催2週間前にも関わらず、参加予定者は200人を切っていました。そこで、団体メンバー1人あたりの集客目標を設定したり、大学内外でビラ配りを行ったりと、告知、集客のためにあらゆる手を尽くしました。その結果、当日は400人を大きく超え、立ち聞きが現れる程の反響をいただきました。この経験が、学生時代で一番打ち込んだことです。 続きを読む
Q. 一番得意、または好きな学科とその理由は何ですか?
A.
私が一番好きな学科は「英語学」です。大阪大学では、文学部の英米文学・英語学専修に属しており、留学先の大学でも、英語学の授業を中心に履修しています。英語学とは、英語に関する言語学であり、「ことばを科学すること」だと私は考えています。その中でも「語用論」「時制」という分野に対する知見を広めています。私がこの学問領域を好きになった理由は、ことばという卑近である存在を、改めて見つめ直し、その中に法則を見出すことに興味を惹かれたからです。当たり前のことをもう一度独自の観点で見直すという姿勢が、英語学を通して培われたと思っています。 続きを読む
Q. 就職に対する希望は何かありますか?
A.
私は、人と関わる仕事に就きたいと考えています。私の人生における軸は「この人がいてくれてよかった」「この人のおかげで今の自分がある」と思ってもらえるような人間になることです。それが直接的に達成できるB to Cの企業、間接的に達成できるB to Bの企業のどちらの形で就職することになったとしても、軸から逸れることなく、働くことができればと考えています。 続きを読む
Q. 職種・勤務地に対する希望は何かありますか。
A.
職種に関しては、営業、マーケティング部もしくは人事部を特に希望致します。また、勤務地に関しては、日本では大阪在住ということもあり、大阪本社もしくは近畿圏での勤務を希望致しますが、貴社規定に従う所存です。いずれはグローバルなフィールドで活躍できればと考えております。 続きを読む
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公開日:2019年7月25日
男性 20卒 | 名古屋市立大学 | 女性
Q. 自己PRをご記入下さい。
A.
私の強みは「新しいことに挑戦できる行動力」です。私は自分の英語力を試すために、初めての海外旅行に1人で行きました。しかし最初は簡単な会話をするのみで、英語力を試せませんでした。そこで、街で知り合った人にランチに誘われた際、リスクを顧みずチャンスと捉えて食事を共にし、会話を通して自分の英語力を把握できました。仕事でも明確な目的を持ち、それを達成するために新しい方法にも恐れず挑戦していきます。 続きを読む
Q. 充実度の変化のきっかけとなった体験・出来事・場面を記入し、詳細を記述して下さい。
A.
私の人生の充実度を変えたきっかけは、仕事探しで苦労をした留学の経験です。私は語学学校に通った後、「学校では学べない生きた英語を話す」という目標を達成するために、仕事を始めようと試みました。はじめは求人のネットで30件以上応募しましたが全く返信がなく、やっとの思いで採用をもらったカフェのオーナーとは音信不通になり、だんだんと仕事探しが億劫になりました。しかし、街で知り合った人に「Don’t stay in the comfort zone!」と鼓舞され、私は仕事探しから逃げ、自分にとって楽で快適な道を選ぼうとしていたことに気づきました。そこでもう一度自分の目標を達成するのだと意気込み、楽なネット応募ではなくもっと有効な方法を模索しました。そして持ち前の「新しいことに挑戦できる行動力」を活かし、自ら店に赴いて履歴書を配る手法をとりました。1日5件は回り、オーナーを捕まえては自分を売り込むことを1週間続けました。その結果、完全英語環境のジェラート屋での仕事を得ることができました。さらに、仕事を通してアメリカ出身だと間違われるほどのスピーキング能力を得て目標を達成できた上に、TOEICの点数も200点上げることができました。この経験から学んだことは、「困難を打破するためには、目標を強く意識し、自分が快適だと感じる範囲から踏み出すことが大切だ」ということです。楽な道に成長はなく、また目標なき挑戦には意味がないと思います。目標を強く持ち、困難にぶち当たってもその目標を達成したいという思いがあれば、新しいことにも挑戦できます。この教訓を意識し、留学後はどんなに追い詰められた場面でも、自分を成長させるためだと思ってその壁に果敢に立ち向かえているので、困難があっても充実感のある生活が送れていると感じます。 続きを読む
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公開日:2019年7月26日

20卒 本選考ES

技術系総合職
男性 20卒 | 名古屋工業大学大学院 | 男性
Q. あなたの強み
A.
目標を見失うことなく、周囲の意見に寄り添う事ができる点が私の強みです。大学時代、私はアカペラの主催ライブを企画、開催しました。バンド仲間の全員で1つの大きな舞台を創りたいと感じていた私は、ライブ会場や宣伝等、様々な意見を交わしました。仲間の意見は、どんな内容でもまず肯定的に捉え、ライブコンセプトに沿った、活かせる点を探す姿勢で議論に臨み、仲間全員のアイデアを取り入れたライブを創ることができました。 続きを読む
Q. *誕生~現在までを振り返って、これまでの人生におけるあなたの充実度を曲線グラフで描いて下さい *充実度の変化のきっかけとなった体験・出来事・場面を曲線の傍に記入し、下の空欄に詳しく記述して下さい
A.
①小学生時代、人当たりの良さからクラスメイトの推薦により、学級委員を6年間続けて担当した。当初、先頭に立って多くの人をまとめる事が特別に好きなわけではなかったが、続ける内に、リーダーとして周りを先導することのやりがい、楽しさを感じるようになる。②中学校では、親友と共にバスケットボール部に入部し、チームスポーツの面白さを知る。”貪欲に常に勝利を目指すチーム”ではなく、”チームの和を大切にし、楽しむことに重きを置いたチーム” であった。そのため、個々の能力は他校に劣っていたが、連携を活かしたプレーで地区で2番の成績を収めることができた。また、小学校時代の経験から、自らの意思で学級委員や合唱コンクールの指揮者を務め、個人としてのスキルも磨いた。③高校へ入学。個人競技、チーム競技の両者に魅力を感じていた私は、練習ではチームとして高めあ い、結果は個人で求められる”陸上”を始める。仲間と共に成長したいという思いが強かった私は、1 年生の頃から積極的に練習を先頭で引っ張った。また自主練習としても、月間走行距離や筋トレの回数を決めるなど、明確な目標を設定して練習に取り組んだ。次第に、1つの目標に向かって一心に努力することが私のモットーとなる。 ④高校陸上で1番目標としていた愛知県高校駅伝のレース中に膝を壊し、走ることができなくなる。本来のチームの実力であれば、上の大会に勝ちあがることができると考えていたため、チームの目標達成を阻んでしまった自分を責めた。 ⑤”お前がいたから練習で競うことが楽しいと思えたし、目標達成を夢見ることができた。同じチームで一緒に走れて本当に良かった”という部員からの言葉に涙した。結果だけでなく、それまでに歩む過程がどれほど大切なものであるかを感じた。卒業するまでに膝は完治しなかったため、以降は仲間のサポートに徹した。 ⑥大学では、6人の声をどのような発声、声質、大きさで合わせるか等、常に仲間で議論を行いながら進める練習スタイルに興味を感じ、アカペラサークルに所属した。サークル3年目には、「私自身の企画力を試したい」、「共に成長してきた仲間と大きな舞台を創りたい」という思いから主催ライブを計画し、約100人の集客を得た。 ⑦就職活動で多くの企業と出会い、世界にはまだ自分の知らないモノや技術が溢れていると知る。社会という新たな環境で、世のために働きたいという熱意が高まる。 続きを読む
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公開日:2019年7月26日
男性 20卒 | 九州大学大学院 | 女性
Q. 自己PR 200字
A.
私はチャレンジ精神があります。私は、学部1年の春休みにフィリピンへ語学留学しました。そこで人生初のスキューバダイビングに挑戦し、ライセンスを取得しました。ライセンス取得では英語の指導を理解できないと命の危険が伴いますが、私はワクワクしていました。なぜなら、緊張感が自身の英語を上達させ、大きな達成感を得られると考えたからです。私はこのチャレンジ精神を活かし、貴社で積極的に新しい仕事に取り組みます。 続きを読む
Q. 充実度の変化のきっかけとなった体験・出来事・場面を記入し、詳細を記述して下さい。(全角で1000字まで) (手書きでグラフを作製し、スキャンして提出)
A.
誕生して幼い時期は、友達とよく外で遊び、習い事をさせてもらい、順調に成長していきました。しかし、小学校3年生の時家庭の都合で転校し、新しい環境になじめず一人で過ごすことが多くなり、充実度は低下しました。中学校に入ると、生徒会役員になり周りに頼られるようになることで、充実度は上昇しましたが、常に自分の力不足を感じていました。同時に、高校受験のための勉強が楽しく、充実度は上昇しました。高校に入学すると水泳部に入部したことがきっかけで仲の良い友達ができ、また厳しいけれども充実した練習を毎日行うことで自分の能力を高めることが出来ました。高校2年の夏休みには集中した練習で記録を伸ばし、秋の新人戦で九州大会に出場できました。努力が成功に結び付いたことが嬉しく充実度はピークでした。それ以降受験勉強を始め、受験勉強では放課後の空き教室で毎日同じ机に付き、先生に質問しながらひたすらに勉強しました。自分が分かる知識が増えていくことに楽しみを感じており、充実度を保っていました。その後、第一志望の大学に入学できましたが、授業が難しく勉強に行き詰ったので、充実度は低下しました。大学1年の春休みでは、フィリピンへの1か月の語学留学を経験し、新しい世界を知ったことは非常に楽しかったのですが、思うように周りとの会話ができず、もっと自分も頑張らなければならないと思いました。その後の大学生活では、大学2年の時、大学1年から入部していたゴルフ部での活動で上達がみられ、自分から周りを誘ってゴルフをしに行くようになり、充実してきました。大学3年生は授業の試験が非常に難しくて大変だったので、横ばいです。大学4年生になって研究室に行くようになると、研究の仕方が分からず、直上の先輩がいない不安と、留学生に質問することが多くていつも緊張していたので充実度は下がりました。しかし、大学4年生の後期になり、研究での不安を先輩に相談すると、研究には正しいことはないので自分のやりたいように進めていけばいいということに気づき、それから意欲が湧いて、充実度は上昇していきました。修士1年になると、研究室で後輩を持ち、学会にも多く参加させてもらうことで学びが増え、非常に忙しい毎日でしたが、とても充実していました。現在は就職活動に取り組むことで、自分の人生について考える最大の機会となっており、未来の自分へ期待しています。 続きを読む
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公開日:2019年4月10日
男性 20卒 | 金沢大学大学院 | 男性
Q. 自己PR(200文字)
A.
私の強みは挑戦し努力できる所です。私は留学生との会話で自分の英語力が不足していると感じました。そこで私は週5日の英語学習に加え、1ヵ月タイへ研究留学に行くことや研究室での報告会を全て英語で行うことで常に英語に触れる環境に身を置きました。結果、TOEICの点数は半年間で200点上がり、留学生には最も頼りにされる存在になりました。挑戦し努力することで自分を成長させ、貴社の発展に貢献したいと思います。 続きを読む
Q. 誕生~現在までを振り返って、これまでの人生におけるあなたの充実度を曲線グラフで描いて下さい *充実度の変化のきっかけとなった体験・出来事・場面を曲線の傍に記入し、下の空欄に詳しく記述して下さい
A.
①同期への対抗意識 中学でバドミントン部に入部。ある大会の団体戦メンバーに同期2人が選ばれたが、自分は選ばれなかった。大会の数ヶ月前からコートはメンバーしか使えなかったため、その悔しさをバネに毎日3キロ走り込んだ。これにより、市大会の個人戦では目標のベスト8まで進み、団体戦では最も重要な試合を任される存在になった。→悔しさをバネに努力することを学んだ。 ②高校受験 高校受験にて担任の先生から現実的に第一志望は厳しいことを告げられた。両親に第二志望に変える条件としてそこでは上位の成績を取ることを約束し、第二志望の高校を受験することにした。入学後は常に成績上位をキープし、約束を果たせた。→どんな環境でも目標を設定し、自分に負荷をかける大切さを学んだ。 ③練習メニューの改革 高校のバドミントン部では練習メニューが固定化されており、部員全員が練習を真剣に行えていなかった。そこで、新しい練習メニューを同期と考え先輩たちに提案するも、伝統を重んじる先輩たちは中々導入してくれず何度も衝突した。しかし、新しい練習を取り入れる意義を強調することで先輩たちを納得させることに成功し、見事に部の目標であった県大会団体戦ベスト8を達成した。→課題解決のために考え、行動し続ける粘り強さを得た。 ④団体戦メンバーの落選 大学のバドミントン部では40人中10人しか選ばれない団体戦に出場することを目標にしていたが、全国大会の出場経験者が多数所属しており、何度もメンバー落ちを経験した。上手い人と練習への取り組み方に差があると考え、上手い人に沢山話を聞き、そこから得られた情報をもとに自分の練習の取り組み方をより良いものに変えた。その結果、2年生の秋の団体戦に出場することができた。→他人の良い部分を自分のものに落とし込む能力を得た。 ⑤タイへの研究留学 修士1年生の時に研究室に初めての留学生が来るも英語が全く聞き取れず、挫折感を味わった。このままではいけないと思い、タイに1ヵ月研究留学に行くことを決断。最初は慣れない土地や人に対応できるか不安だったが、持ち前のコミュニケーション力ですぐにタイ人と仲良くなることができた。研究では日常会話と違い、聞き取りミスが一大事になりかねないので、先生と密に話し合ったり絵を書いて確認したりすることを心がけ、順調に研究を進めることができた。→挑戦する大切さを学び、異なる環境への適応力を得た。 続きを読む
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公開日:2019年4月5日

19卒 本選考ES

事務系総合職
男性 19卒 | 神戸大学 | 女性
Q. アルバイトについてお答え下さい。
A.
塾講師(2015年4月~2017年10月) 書店販売スタッフ(2017年10月~現在) 続きを読む
Q. 趣味・特技についてお答え下さい。
A.
趣味…映画鑑賞、特技…書道・硬筆 続きを読む
Q. 自己PRをご記入下さい。(最大200文字)
A.
私は、組織運営改善のため積極的に行動できる人間です。大学の部活動において、学連員という役職を務めました。これは、部の代表として、関西の学生が参加する試合の運営を行う役職です。私は、迅速な試合運営を実現するために改善点を提案したり、役割分担を改善するなど、よりよい組織運営のために積極的に行動しました。チームで運営を行った経験も人一倍豊富であるため、貴社でもこの経験を生かしていきたいです。 続きを読む
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公開日:2018年10月18日

19卒 本選考ES

事務系総合職
男性 19卒 | 九州大学 | 男性
Q. 自己PR(200字)
A.
私は目標を高く持ち、その過程が困難であればあるほど努力することができる。 これは現在まで九年間の学生生活において生かされた。通学往復三時間の中、文武両道、D判定大学への合格、七割が落ちる授業の単位回収といった目標のために移動時間や図書館という徹底的に自分が集中して勉強できる環境に身を置くことを心掛けた。結果、全ての目標を達成した。仕事において、どんなに困難な状況下でも食らいついてやりとげていきたい。 続きを読む
Q. 充実度の変化のきっかけとなった体験・出来事・場面を記入し、詳細を記述する。(1000字自己紹介シート)
A.
小学校六年間続けた剣道で五年生の時に優勝したことである。優勝という目標を達成するまでの一年間は東京都にある道場で稽古を積んだ。毎朝六時に起床して父と地元の公園へ朝練に行き、週二回の稽古では先生にふっ飛ばされて気絶者が出るくらいの厳しい練習を小学生、中学生の両方の部で計三時間の練習を行った。それを一年間続けたところ優勝することができた。この時に培った忍耐力、精神力はその後の私の人生において一生のものとなり、辛いことがあっても当時を思い出せばどんなことも乗り越えられる私の強みのコアとなった。  中学三年生の時に硬式テニス部でレギュラーを外され、当時組んでいたダブルスのペアからも見放されたことである。それまでずっとレギュラーだった私にとってこれは大きな挫折となった。原因は私のバックハンドという苦手な打ち方による敗戦続きによるものだった。バックハンドがイップスになりかけていた私はこれを契機に苦手克服に努め始めた。バックハンドに関する情報誌や動画を手当たり次第見て、要点をノートにまとめ、練習時間を確保するためテニススクールにも通った。その後、何とか試合に勝てるレベルまでにはなったが自分の納得できるバックハンドに達することができなかった。  卒業式に学年で三人へ送られる学校長賞を授与されたことである。第一志望の大学に合格したことはもちろん嬉しかったが、中高を通じて定期テストや提出物をこなしてきた日ごろの努力が報われた瞬間だったため、素直にこちらの方が嬉しかった。私は大学受験の際に塾に通った生徒だったが、学校の勉強を疎かにしてはならないという強い思いを持っていたのでその思いが肯定されたことが一番の喜びだった。  大学二年生の時に九年間のテニス歴において初めてシングルスで二位入賞したことである。私は、自分の苦手なバックハンドを克服するためにあえて部活には入らず、小さなサークルに入った。それは、部活特有の決められた練習内容では私の場合、完全に苦手克服できないと考えたからである。そして、実際に練習内容に自己の裁量が大きく働かせるサークルで試行錯誤してバックハンドの改善に取り組んだところ自分の武器となるまでに成長させることができた。一方で、自身のバックハンド研究に没頭しすぎて、単位を大量に落としてしまったのもこの時期である。以上のことから、充実度を0にした。 続きを読む
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公開日:2018年9月19日
男性 18卒 | 関西学院大学 | 男性
Q. あなたの人生についてグラフを書き重要なポイントごとに説明してください
A.
①中学受験 小学校6年生のとき、私は中学受験に挑戦しました。親の意志で受験をする生徒が多いなか、私は自らの意志で「関学の高校でサッカーがしたい」と強く思い受験を決意しました。塾の先生には「1年間で今の学力からでは難しい」と言われたのにも関わらず、5年生のテキストと6年生のテキストを並行して勉強し続け、目標であった関西学院中学部へ入学できました。 ②高校サッカー部での挫折 高校のサッカー部で、私はレギュラーとして試合に出場することができず、結果的に高校生活におけるモチベーションを失ってしまいました。人生で初めての挫折を味わった私は、この悔しさからチームにおける個の力の重要性を学び、大学では誰からも認められる個の強みを身に付けることを決意しました。 ③英語への取り組み 大学入学時「TOEIC300点から800点」という目標を設定し英語勉強に取り組みました。自ら高い目標を設定したため、1年で650点を取得しました。また友人への教授をきっかけに自分の勉強法に価値を感じ、多くの人に共有したいと思い、HPを立ち上げ全国の人にコンサルティングを行いました。この経験は顧客のみならず私にもメリットとなり、2年間で820点をを取得しました。 ④留学生活 カナダへの留学に挑戦し、挫折と成功を経験しました。今まで学んできた英語が全く通用せず、差別を受けたりなど精神的に非常に苦しい時期がありましたが、「リアルな英語を自分のものに」と目標を立て、諦めずに努力した結果、最終的に友人を多く作り充実した留学生活を送ることができました。 続きを読む
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公開日:2017年12月8日

18卒 本選考ES

事務系総合職
男性 18卒 | 首都大学東京 | 女性
Q. あなたの人生曲線を描いてください。
A.
①お箏(こと)で全国優勝:小学校6年生の時に、部員11人と全国優勝を果たし、文部科学大臣賞を受賞しました。 ②栃木県から神奈川県へ引っ越し、いじめに遭う:頻繁に仲間外れになりましたが、「いじめる人は器が小さいな」と考え、そこまで気にならなかったので、マイナスまではいきませんでした。 ③生徒会で大失敗:全校での林間合宿で生徒会代表の出し物(マジック)で大失敗をしました。 ④第一志望の高校に進学:受験前日に風邪をひき、病院に駆け込みました。合格が分かり、今までの努力が報われたと感じました。 ⑤吹奏楽部で理不尽:学外の指導者から理由を告げられないままに自分たちの学年のみ指導を受けることが出来なくなったため、理不尽さを感じた。 ⑥不合格 ⑦浪人 ⑧希望の大学へ進学 ⑨教養科目しかないつまらない ⑩専門が始まり、楽しい ⑪イギリスへ留学 ⑫就職活動:様々な会社を知ることが出来て楽しい 続きを読む
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公開日:2017年12月22日
男性 18卒 | 横浜国立大学 | 女性
Q. これまでの自分に大事だった出来事
A.
1 「JAXA訪問以来、研究者を目指すが、悩んだ末に文系に」  中学校の修学旅行でJAXAを訪れ、科学技術の壮大さや奥深さを改めて認識した。学校自体も理系科目に注力しており、科学雑誌の購読や科学コンテストへの参加を通じて、将来は研究者を志す様になった。その一方で外国語学部・経済学部にも非常に興味があったため、悩んだ末に文系を選択した。 2 「理系学部編入を目標に臨んだ大学受験、努力が足らず」  高校3年次の時点では、研究者として新しい技術を生み出したいという気持ちが強くなっていたため、大学入学後に理系学部に転換可能な大学を志望。平均点以下だった歴史科目を、半年後のセンター本番で学年唯一の満点にするなど自分独自の方法で精一杯勉強したが、合格には至らなかった。 3 「初めての海外で1か月間のフランス留学」  フランス語を授業内外で学び、大学1年次の春休みにフランスへの短期語学留学を行った。日本で参考書メインで勉強し、話す練習が不足していたため、現地では想像以上に喋れなかったが、“話す・聴く”能力の向上に特化した対策をすることによって、1か月後には日常会話程度までこなせる様になった。 4 「冊子の質向上に向け、冊子制作のシステムを改革」 大学2年次にサークルで冊子編集長を務めた際、メンバー間の制作スキルの差を埋め、冊子全体の質を向上したいと考えた。1人ずつとの話し合いからペアでの制作を提案したが、スケジュール的に全員の賛同を得られなかったため、制作段階において自らが仮のペア役としてメンバーをフォローすることで効果を示そうと考えた。結果、好評となり、これ以降多くの号がペアで制作された。 続きを読む
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公開日:2017年9月12日

18卒 本選考ES

事務系総合職
男性 18卒 | 東京理科大学 | 男性
Q. 志望理由を教えてください
A.
多くの産業にとって必要不可欠なものでありながらも、様々な場面に合わせて応用を利せて提案することができる化学素材に魅力を感じました。 その中で御社はあらゆる分野で世界トップシェア製品持ち、信頼性とその提案の幅広さは営業をする上で大きなやりがいとなると感じました。 数々の分野で、世界トップシェアを取りながらもANT(エリアニッチトップ)という戦略を掲げ、現状に満足せず、貪欲にシェアを確保する姿勢にも魅力をかんじました。 そのような環境で御社と共に成長し、グローバルに活躍したいと思い、志望致しました。 続きを読む
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公開日:2017年9月15日
男性 17卒 | 山形大学大学院 | 男性
Q. 誕生~現在までを振り返って、これまでの人生におけるあなたの充実度を曲線グラフで描いて下さい *充実度の変化のきっかけとなった体験・出来事・場面を曲線の傍に記入し、下の空欄に詳しく記述して下さい
A.
日東電工 充実度グラフ ① 私の入園した幼稚園は仏教系であり、そこで茶道を学び、日本独自のわびさびの精神文化を吸収。年長次には「おさとりの会」と呼ばれる全園児の代表として、仏さまにお焼香をしたことが記憶に残っています。 ② 小学校に上がると興味の芽が広がり、サッカークラブに入団し、同時に書道を習うようになりました。一般の子どもならスポーツに夢中になる年頃ですが、私の場合は本の虫になり、図書館によく通うようになりました。低学年の頃は小説をよく読み、高学年になるにつれて自然・科学の本や図鑑などを読むようになりました。 ③ やがて自然や、科学の面白さに目覚め、夏休みの自由研究では山梨の街の酸性雨度、川のきれいさ、トンネルの粉塵の多さなどを調べたところ賞をいただき、小学校代表に。この経験から、いつかはノーベル化学賞を受賞するような化学者になりたいと思うようになる。 ④ 中学校に入ると荒れた環境になり消極的な、狭いコミュニティーでしか話さないような子どもになってしまい、充実度は一気に低下。部活は卓球部に入部するもののあまり覇気がなく、惰性で過ごす毎日でした。しかし2年次に部長に任命され、これを機に更生しようと決意。しかし努力が空回りしてうまくいかない。 ⑤ 私は高校に入って自分を変えようと決意し、地元の進学校へ入学することになりました。一方高校へ進学するとよい友人ができ、再び卓球部へ入部することになりましたが、その卓球部は強豪で、レベルの差に愕然としてしまいました。そこで私は火がつき、ひたすら努力してきました。 ⑥ 友人と世界卓球を見に行くことで、卓球熱が飛躍的に上昇、やがてレギュラーにも勝る実力を手にしました。最後の県大会でレギュラーの座をついに奪って、勝利し、完全燃焼を果たしました。 ⑦ 大学に進学すると、友達0のまったく新しい環境に変わったので何か新しいことを極めたいと思い、WTFテコンドー部と弾き語りサークルを兼部するようになりました。この2つの活動で爆発的に人脈が増え、運動部と文化部両方の道を極めてきました。 ⑧ 3年次には研究室に配属し、初めて自分の手で今までになかった化合物を合成し、座学では味わえなかった合成の喜びと難しさを知りました。 その後テコンドーで黒帯を取得し、修士1年の冬に充実度ピークを迎えます。山形県テコンドー選手権大会で優勝したことです。これまで各大会を連覇し、工学部の9代目部長を務める「最強」の先輩がいました。私はその先輩に決勝戦で勝利し、先輩に涙声で「ずっと指導してきた後輩に負けてうれしい」という言葉をいただき、その時本当に山形大学に来てテコンドーを続けてよかったと、心から思いました。現在は有段者として後輩の指導にあたっています。 続きを読む
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公開日:2016年9月8日
男性 17卒 | 北海道大学大学院 | 男性
Q. *誕生~現在までを振り返って、これまでの人生におけるあなたの充実度を曲線グラフで描いて下さい *充実度の変化のきっかけとなった体験・出来事・場面を曲線の傍に記入し、下の空欄に詳しく記述して下さい
A.
中学校に入学し、良い環境で勉強したいため地元一の高校を目指して勉強を始めました。入学直後の成績が悪かったか、勉強に専念した結果上位1割の成績で卒業し、目標にしていた高校に入学することができました。高校生になって、省内の中学校から来た精鋭達とお互い助け合いながら競い合って、成績をさらに向上させ、その後目標にしていた一流な大学に入りました。それからしばらく将来に関して迷いました。 2年生になり、自分がいる世界の狭さを感じ、世界中で活躍したいと考えるようになりました。そこで大学の交換留学プログラムを申し込みましたが、成績が足りなく落選しました。しかし、そこで諦めず「ならば学校に頼らず自力で留学しよう、より困難な事に挑戦する方が得られる物が大きい」と考え、行動を起こしました。まず履修計画を見直して、時間を作りました。それから、情報収集し留学に向けた計画を立てました。そして、3ヶ月間毎日6時間かけて日本語と英語の勉強をし、語学資格を取得しました。大学とやり取りをして申請書類を作成し、さらに入試のために勉強や発表練習をした結果、北海道大学に無事入学することができました。 留学生として勉学をはじめてすぐ、研究室の先輩や同期と実験結果を共有し、効率よく研究を進められるよう工夫しました。そして、社会経験を得ると同時に日本語能力を磨くため、日中通訳などのアルバイトなどにチャレンジしました。入学から半年後、初めて学会で発表をして、そこで自身の不足を感じました。それ以来は学業により一層力を入れて、いずれ全国規模の学会で賞をもらうことを目標に頑張っています。 続きを読む
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公開日:2016年9月7日
男性 16卒 | 慶應義塾大学大学院 | 男性
Q. *誕生〜現在までを振り返って、これまでの人生におけるあなたの充実度を曲線グラフで描いて下さい *充実度の変化のきっかけとなった体験・出来事・場面を曲線の傍に記入し、下の空欄に詳しく記述して下さい
A.
中学受験をし,文武両道を掲げる中高一貫校に入学しました。そこは,「徹夜で山登りをする」「白褌で海を泳ぐ」「朝6時から寒稽古をする」などさまざまな伝統行事があり,1年目は辛いこともありましたが充実した日々でした(①)。しかし,2年目以降は毎年同じことの繰り返しに飽きてしまい,かつての充実感はなくなってしまいました。部活は剣道部に入っていましたが1年で辞め,その後は特に何もすることなく中学・高校生活を過ごしていました(②)。高校3年から1年間,受験勉強に打ち込みましたが,残念ながら第1志望の大学に不合格となり,第2志望の大学に進学しました(③)。 大学ではテニスサークルや飲食店でのアルバイトを通してさまざまな人と出会い,交流を深めました。また,2年生の学科分けでは第1志望の応用化学科に配属され,学業にも励みました(④)。大学3年の時,所属していたテニスサークルの役員になりました。しかし,50年以上の伝統があるサークルで,部員も当時100名ほど在籍していたため,役員の精神的なプレッシャーは並大抵のものではありませんでした。また,この頃から学業の方も忙しくなり,学生実験は週に2回ありました。サークルと学業の両立は大変でしたが,役員を終えた時に1年生から「このサークルに入って良かった」と喜んでもらえ,最終的には達成感と満足感に溢れていました(⑤)。 大学4年になり,第1志望であった無機材料系の研究室に配属されました。「学生の自主性を重んじる」という教授の指導方針の下,比較的自分のやりたいように研究を進められた反面,思うような成果が出ない日々が続きました(⑥)。そんな時はひとりで悩まず,先輩や教授,共同研究者とのディスカッションを積極的にしました。ディスカッションを繰り返すうちに「どの実験条件が反応に影響しているか」ということが次第に分かり,問題点を解決することでき,国内学会や国際学会で自分の研究成果を発表することができました(⑦)。 続きを読む
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公開日:2015年12月21日
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日東電工の 会社情報

基本データ
会社名 日東電工株式会社
フリガナ ニットウデンコウ
設立日 1918年10月
資本金 267億8300万円
従業員数 25,325人
売上高 9290億3600万円
決算月 3月
代表者 高崎秀雄
本社所在地 〒567-0041 大阪府茨木市下穂積1丁目1番2号
平均年齢 40.7歳
平均給与 822万円
電話番号 06-7632-2101
URL https://www.nitto.com/jp/ja/
NOKIZAL ID: 1130949

日東電工の 選考対策

最近公開されたメーカー(電子・電気機器)の本選考ES

就活会議 就活会議株式会社は、 有料職業紹介事業者として厚生労働大臣の認可(許可番号 :13-ユ-312872)を受けた会社です。
人材紹介の専門性と倫理の向上を図る 一般社団法人 日本人材紹介事業協会に所属しています。
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(証券コード:7047)
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